ロサリオ・フェレ『呪われた愛』

プエルトリコ出身の作家*1による、プエルトリコを舞台とした中編一つと短編三つを収めたもの。それぞれが独立した作品になっており、表題作「呪われた愛」は二十世紀前半、「贈り物」は19年、「鏡の中のイソルダ」は1972年、「カンデラリオ隊長の奇妙な死」は1996年が舞台になっているが、同じ名前が顔を出したりとひとつながりの年代記のようにもなっている。
「呪われた愛」では友人であった地元の名士ウバルディノ・デ・ラ・バジェの伝記をある男が書こうとしている。「呪われた愛」執筆メモによると、郷土小説のパロディを意図しているらしい。ラテンアメリカの郷土愛は常にその地方独特の自然を取り上げて賞賛することと結びついていた。そのスタイルで書き始められるが、すでにその時点であまり偉大な雰囲気がせず、どことなくコミカルなものになっている。
伝記の著者が執筆を始めたところ、長年デ・ラ・バジェ家に仕えてきた黒人女性が訴えに来る。デ・ラ・バジェ家では、ウバルディノの妻であるラウラが危篤状態にあり、訴えはその財産をめぐってのものであった。彼はかまわず書き続け、その後デ・ラ・バジェ家を彼は訪れるが、そこでウバルディの次男から更なる告白を受け打ちのめされる。しかし、認める気にはならずにさらに「正史」を書き綴る。最後には死の床にあるラウラの発言を聞き、衝撃を受けていたところ、外では長男の妻が自分の意見を黒人女性に述べながら、屋敷を燃やそうとしている。
こうして作品は偉大なる人物の伝記であったはずの文章と交互して、黒人の召使いや次男、長男の妻、ラウラによる発言(それぞれが矛盾しまくっている)がいくつも混じり合い、「正式な」記述は姿を消してしまう。
その中で、名家の誇りの根本は否定される。と同時に、プエルトリコの社会の人種をめぐる状況も垣間見える。本当はムラートの血を引いているのにスペイン人の子孫であると(つまり純粋な白人であると)詐称していたこと、それを誰もが本当は知っていたこと、などが明らかになるのだ。しかしながら、それもどこまでが本当なのかはわからない。結局何が本当かは分からないが、伝記に書かれるような「事実」だけが事実ではなかったことだけは明らかになる。
メキシコ系アメリカ人による作品でも、「声の力」というか、語りの重要性のようなものがいつもクローズアップされるようだし、女性作家でしかも非アングロサクソンとなるとそういう形の作品以外あまり見かけないような気もする。なのでまたかよ、と思ったのだけど、読むうちにそんなことも忘れて最後まで楽しみ、時間も忘れて読みふけってしまった。
そういえば、どこかに「どこの家にも隠しておきたい埃だらけの骸骨の一つや二つあるものですよ」という台詞があったがそれで「アブサロム、アブサロム!」を思い出した。この作品は短いが、落ちぶれていく名家とか成り上がりとか混血とか、フォークナーを参考にしている部分があるのかもしれない*2
時に突飛なイメージ(デ・ラ・バジェ家のトイレとか)が出てくるものの、想像できないほど突飛なものではないし、生々しいイメージもなくて洗練されている。ラテンアメリカの大家のものに比べるとずいぶん読みやすいのではないか。プエルトリコの歴史的な背景や人種差別の実態を知っていればより理解は深まるのだろうけどそうでなくても楽しめた。

呪われた愛 (現代企画室女性作家シリーズ)

呪われた愛 (現代企画室女性作家シリーズ)