021 Hong Kingston, Maxine. The Woman Warrior

中国人コミュニティの中の人以外はみなghost。アメリカ生まれの子供たちも半分ghost。
大声で話しまくるが本音は言わず、褒められても「そんなことないです、私なんてだめですから」と言う。顔は同じだがまったく異質な中国文化だけど謙譲の美徳はいっしょなのか、あと目をまっすぐに見て話さないのも、と知る。漢字が英語で説明してあるのがおもしろい。日本語に訳してしまっても、英語と同じ効果は出ないものな。「人の形をした漢字」って「人」だし。ぜんぜん漢字の知識がない英語圏の人がそのような描写を読んで思い浮かべる情景はどんなだろうか。
他にもいろいろと考えていたのだが忘れてしまった。地元があって土地があって先祖代々ずっと住んでますみたいな人はあんまりルーツの主張をしないんじゃないかなとも思うのだ。国とか固有の文化とか日本人とかの概念は抽象的で、土地への愛着とかを一気にそこにつなげるのは難しい。この本にも中国の昔の話とか歴史上の誰かとかも出てきて、それはSandra Cisnerosの話に唐突にサパタが出てきたりアステカやマヤの神様が出てきたりするのなんかと同じようにも思う。ぜんぜんまとまっていないな。
Sandra Cisnerosで卒論を書いたときに、読んだ論文の作者はことごとくスペイン語系の名前を持つ女性で、subversiveだからいいとかそういうのばかりだった。アングロサクソン主導の価値の転倒とか。そしてことごとくつまらなかった。小説そのものがつまらないからだろうか、と思うほどであった。実際そんなにおもしろくはなかったのかもしれない。なんとなく、発言できるのは同じマイノリティに属する人だけなのかという感じだったし、わたしは直接はアメリカにおけるメキシコ人問題とは無関係な日本人で、それで「声なき声を拾い上げてばんざい!」とか言うのもあほらしく無邪気すぎ、日本の中のマイノリティの話とかよくわかってもいないのに何を言うのか、とも思った。そういう居心地の悪さを提供すると言う点ではいいのかもしれないけどそれって小説としての評価とは別物だ。ハイフンつきアメリカ人の文学はいろいろあるけれどそういう観点にしか回収されないのだとしたら不毛だと思う。「メキシコ性」や「中国性」を論じるのであればどんな作品でも行き着く先は同じだものな…。そしてマジョリティのうっかり発言を誘発して議論巻き起こる、という効果か。
上記のことには無関係だけど、舌を動かしやすくするために舌の一部を切る、という話が載っていたが、これ子供の頃に聞いたことがあるような気がする。

The Woman Warrior: Memoirs of a Girlhood Among Ghosts (Vintage International)

The Woman Warrior: Memoirs of a Girlhood Among Ghosts (Vintage International)