018 Nafisi, Azar. Reading Lolita in Tehran

縁遠いイランの話で、今はアメリカに亡命(?)した著者が書いている、となると、開明的な欧米人が好きそうな話だなーきっとこれを読んでイランの女性の置かれた立場に憤ってイスラムの人権侵害ぶりを嘆くのだろう、そういうことを訴えるときの格好のネタにされそう、と斜に構えて読み出した。が、イランの革命政府のひどさに衝撃を受けて遠くイランの女性たちを思う、という効果はやはりあるものの、それよりも何よりも「小説を読んで一体何になるわけ?」という疑問に一つの答えを見せてくれると思った。
英語圏でもなく、ヨーロッパの文化圏にあるわけでもなく、今文学をやっていたら職が見つかるわけでもなく。わたしもアメリカ文学を専攻していたのだけど、本をろくに読みもせずにこういうことを考えるばかりなんだかやる気も出ない感じであった。英語ネイティブの読みにかなうのだろうか?英語文化圏にどっぷり浸かっている人、そうでなくとも欧米の人ならさらりとわかることを辞書を引いても何かよくわからない日本生まれの日本人が小説を読み通せるのか?それに理系の人とかに「何やってるの?」とか言われても答えようなく惨めな気持ちになるばかり。まあでも、フィクションはネイティブだとかそういうのとは関係なく読んで楽しんだり何かを考えたりできるようだ。趣味以上の力を持ち得るらしい。イランだってはるかに遠い。イスラム圏だし、革命後は欧米のものは厳しく断罪されている。ベールをかぶらないと外出できないような日常の中で、ミサイルが飛んでくる街において、ギャツビーやロリータや『高慢と偏見』や『デイジー・ミラー』が真剣に読まれて読み手の日常に食い込み、意味を変えていくとは。

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Reading "Lolita" in Tehran: A Memoir in Books