Kinder, Marsha. Blood Cinema: The Reconstruction of National Identity in Spain (A Centennial Book)
Blood Cinema: The Reconstruction of National Identity in Spain (English Edition)
- 作者: Marsha Kinder
- 出版社/メーカー: University of California Press
- 発売日: 1993/12/06
- メディア: Kindle版
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- 1950年代スペイン映画におけるイタリアのネオレアリスモとハリウッド映画の影響(Surcos)。Surcosは映画鑑賞教室で見た。ファシズムの特徴として、1つの理念で全てが動くという特徴があり、スペインの場合は「家族」が機能すれば万事OK!という解釈になっていたらしい。この映画でも弱々しかった父が無理矢理マドリードに家族を連れ帰るということで一応の解決を見る。娘トニアの堕落を示すのに、リタ・ヘイワース(親はアンダルシア人、アメリカにたぶらかされて堕落したスペイン女の象徴)のポスターが使われている。娘トニアを堕落させる闇社会のパトロンの描写はアメリカのギャング映画風。
- メロドラマの描かれ方(Muerte de un ciclista)
- ネオレアリスモを越えた新たな表現の模索(Los golfos, el cochecito, みつばちのささやき)
- スペイン文化の特殊性を暴力表現に見る。ゴヤをたくさん参照していた。『ハモン・ハモン』のラストで生ハムで殴り合うシーンはゴヤの絵を元ネタにしているらしい。
- エディプスコンプレックスで映画を読み解く。パズルに当てはめるみたいで自分で精神分析タームを使って分析するのはおもしろそうだけど、読み物としてはおもしろくないと思った。先に概念ありきで、そこに無理矢理物語をはめていくように見えて、物語のおもしろさが伝わってこないような…。
- ルイス・ブニュエルの亡命と映画。ブニュエル映画に見るスペイン性とメキシコ性の相克とか映画の国籍とは何か?という話。
- ハリウッドでの成功を求めてアメリカで映画を作るも、「スペイン性」の欠如でスペイン映画として取り上げてもらえないなどの憂き目に遭い、経済的に失敗に終わったJosé Luis Borauの話。彼は他の作品ではスペインで成功している。
- スペインの中のカタルーニャというミクロリージョナリズムと、ヨーロッパの中のスペインというマクロリージョナリズムについて。主な分析対象として、カタルーニャ人監督による1940年代の作品Vida en sombrasが取り上げられている。90年代初頭、日本企業がアメリカの大きな映画会社を次々と買収していたらしく、日米経済パワーがヨーロッパ映画にとって脅威であるという話が載っていて隔世の感あり。スペインで作られた映画を、ハリウッド映画やヨーロッパの映画に押しつぶされることなくどう売り込んでいくのかはスペイン製映画の課題である(多分今も)。アルモドバルはゲイ的な世界を撮ることでアメリカをも席巻して新しいスペインらしさを打ち出した、ようなことが書いてあった。そうしたホモセクシュアルな世界を描いた作品を売り込むことで、スペイン政府も新しい、民主的でコスモポリタンなスペインのイメージを国外に売り出すことができる。カタルーニャはこの本が書かれるより前に書かれた文章ですでに「スペインよりもヨーロッパ的価値観により近く、バルセロナはマドリードよりはパリに近いとするカタルーニャ人の考え方」に触れられていたのでEUのおかげでより強まったのかもしれないけどそういう傾向はだいぶ前かららしい。