ユリシーズの瞳

友人たちを呼んでいっしょに見た。言葉がちゃんと理解できない(オリジナル英語+ギリシャ語、字幕スペイン語)ので不安だったが、内容が複雑すぎて難しかったので、言葉の問題は結局たいした問題ではなかった。
タイトル通り、ホメロスオデュッセイア」を元にしたシーンがたくさんあったようだ。女性が一人四役で、キルケだったりペネロペだったりしたようだが、キルケ≒ペネロペという設定は「オデュッセイア」を下敷きにした作品にはよくあるのだろうか。
「未現像の三本のフィルム」は何かの象徴?主人公が取り憑かれたように探し続けているのはなぜか、よく分からなかった。ギリシャの映画監督がバルカンとギリシャを舞台に制作したギリシャ最古のフィルム、ということで、失われた故国を取り戻したい欲望に突き動かされているようにも思った(主人公は幼い頃にコンスタンツァからギリシャに移住、さらに現在はアメリカに在住)。
主人公の過去の体験と、ギリシャ人の映画監督の体験と、現在のサラエボ(内戦当時)の惨状と、大戦の記憶とがごっちゃになっている。現在のサラエボは、ギリシャの現代史と接続するのはよけいな感じがしたというか、ギリシャ人の現代史を語るだけではなく、ギリシャという広がりにバルカン半島全部を巻き込もうとしているみたいでなんとなく嫌な感じがした。映像が詩的で美しいだけによけいに。
あまりにも歴史的背景が分からないので、ギリシャへの扉:ギリシャの歴史の独立以降をざっと読んだ。ギリシャという国の独立以降の歴史は実に波瀾万丈で、また「ギリシャ人」という概念とかナショナリズムとか、日本人の思うそれとは違うらしいことは分かった。コンスタンツァの人口動態を見ると、1853年には三割近くいるギリシャ系が2002年には0.17%に激減。ギリシャ人はギリシャへ、という動き(住民交換)があって現在の国民国家が成り立っている。日本人は「日本に先祖代々住んでいて日本語を話すと日本人」という感じだけどそういうのとは違うみたいだ。
追記:藤子不二雄による「ユリシーズ」があったらしい。京都のマンガ図書館とかで読めるかな…