さらにその前、9/22づけに書いたものも載せます。内容はいっしょ。一時期、こういうことをずっと考えていた。父方の祖母は戦争の影をずっと引きずっている人で、いろいろと話も聞いたのだけど、祖父からは聞いていない。祖母は、戦争が終わったときに18くらいで、いちばんの貧乏くじを引いた世代ではないかと思う。
祖父に話を聞きたかったのは、ある程度意識的に政治とか社会とかに参加できる状況と年齢で、あの時代をどのように生きたのか、ということが知りたいからだ。当時の女性でしかも若かったりすると、まったく被害者的な話しかないと思うのだ。上流階級の人だったりしたらまた別なのだろうけど。
わたしは日和見でできれば政治的なことからは離れて生きていたいと思っているけど、それは今曲がりなりにも日本や今住んでいるヨーロッパが平和だから可能なだけで、何らかの政治的な決断を迫られること、政治的な立場を明らかにせざるを得ないこと、そしてそれがその後の自分の人生にも他人の人生にも大きく傷を残すあるいは生死に関わること、がないとも限らない。わたしの祖父は特高につかまったりとか戦後裁判にかけられたとかそんな人ではないが、おそらく戦時中少しゆとりのある家の長男としてふつうの暮らしを送っただけのものが、戦後は「あの戦争をやった奴ら」の一人になった。わたしだってそうならないとは限らない。というか、最近、どういう形でかは分からないけど、わたしたちの世代が、わたしと親の世代とのギャップなんかとは全然違うレベルの、戦中派とその後くらいのギャップと直面するのじゃないかと感じているので、参考にしたいというか、生の声を聞いてみたいと思っている。



実家にあった写真を眺める。祖父のものが興味深い。太平洋戦争が始まった頃に旧制高校を卒業して社会人になったようなのだが、そんな時代でも若者らしく浮かれている。同期?のかわいい女の子の写真が何枚もあったりとか。高校時代の、畳に転がって友人とくつろぐ写真、体操部仲間と6、7人で並んで鉄棒でポーズを決める写真なども愉快。
祖父が死んでもう十年くらい経つ。本人が元気だった頃に望んでいたようにぽっくり死ぬことはできず、チューブ装着状態で寝たきりで数ヶ月を過ごしたあとで死を迎えた。死ぬまでおじいちゃんはおじいちゃんで、別の世代に属するわけのわからん人(何しろ戦争を経験している)だった。自分が友達とお酒飲んでくっちゃべったり旅行に行って写真を撮ってはしゃいだりするのと同じようにおじいちゃんがはしゃいでいたこと、そしてその楽しい日々に寄り添って、真珠湾攻撃や学徒動員や植民地朝鮮があったってことは例の写真を見るまで考えなかった。戦争中は今とは違う暗い日々で、人々も別の人みたいな気がしていた。
もう死んでるしどうしようもないのだが、将来の働く候補地に満州や朝鮮がある将来設計とか、アメリカを攻撃したと知ったときにはやばいと思ったが正直興奮したとか、そういう話を今聞けたらよかったのにと思う。母方の祖父は今も元気だからそちらに聞くしかないのかもしれない。しかしどう切り出したらいいのか、分からん。