多和田葉子『エクソフォニー:母語の外へ出る旅』

著者はドイツ語でも日本語でも作品を書いているという日本人では珍しい人で、しかもお父さんがドイツ人だとか、ドイツに小さい頃いたのでバイリンガルです、とかそういうのでもない。二つの言語の狭間に身を置いて、そこから見えてくる風景を丹念に書いている。
外国語をいかに自分のものにするか、ということに興味があるので読んでみたが、この本の主題はそういうところにはない。二つの言葉の狭間で揺れ動くのは、何も完全に二つの言葉を身につけた人には限らないし、何も意味の分からない音の洪水にくるまれ、その音の中で遊ぶことも出来る。印象的な部分に、

人は、コミュニケーションできるようになってしまったら、コミュニケーションばかりしてしまう。それはそれで良いことだが、言語にはもっと不思議な力がある。ひょっとしたら、わたしは本当は、意味というものから解放された言語を求めているのかもしれない。母語の外に出てみたのも、複数文化が重なりあった世界を求め続けるのも、その中で、個々の言語が解体し、意味から解放され、消滅するそのぎりぎり手前の状態に行き着きたいと望んでいるからなのかもしれない。
139ページより

というのがあった。そう言われてみるとコミュニケーションばかり求めているのが今のわたしであるし、今後も言葉そのものを楽しむことはなさそうである。言葉に対する向き合い方を言い当てられたような気もした。こんな言い方はなんだけどこの言葉がとても作家らしいものだと感じだし、そういうことを書く人がいることは嬉しいことだと思った。
スペインに行く前に、わたしの最後のよりどころとなるのは日本語に違いないと考えていた。また、日本語の美しさに涙するようなことがあるだろうか、とも思ったかもしれない。それから、活字から離れては生きていけないだろう、とも思った。インターネットや日本人の友達のおかげは大きいが、結局どの予想も外れた。読み書き話し聞くのに最も手頃なツールである以外に、もしかしたら価値はないのか。そこまではいかないが、それに近いものになりつつあるような気がする。

エクソフォニー-母語の外へ出る旅-

エクソフォニー-母語の外へ出る旅-