日本語で何かを読み書き話すとき、スペイン語で読み書き話しているときと頭の働きが違い、そしてわたしの心の健康にとってはスペイン語で(外国語で?)読み書き話すほうがいいみたい。スペイン語で考える並に、シンプルな日本語で考えられないだろうか、と思う。

たまに日記にでもメモしとこう、と普段の暮らしの中で思うのだが、すぐ忘れてしまう。昨日はサルサ教室に行った。見事なまでにスペイン人がおらず、留学生ばっかりだった。西洋人は腰から下と背中と手が別々に出来てるんじゃないかと思った。私は相変わらずうまく踊れなかった。

同居人はテスト期間でぴりぴりしている。私はテストが二個しかなく、一つは昨日行ったところ「あなた何で来たの」といわれた例のもの。もう一つは私が常日頃わからないわからないと言い続けたせいで、「もうそんなに分からないのに出てくれて熱意だけは認めるので」ということなのか、レポートで代替された。
授業が全くないので、昼まで寝ている堕落ぶりで、申し訳ないほどだ。

先週、こちらの大学で私の専門の授業をもっている先生が死んだ。にわかには信じられなかったが、本当だった。まだ若くて、その前の週に、「また来週」と言って授業を終えて、それきり私はもう見なかった。その授業の今後を告げる機会が持たれたとき、スペイン人学生は自分たちの評価がどうなるのかについてわめき立てて、せめてこのとき、静かにできないのか、と腹が立った。

バジャドリードは先週の寒波が過ぎ去ったのか、少し暖かい。今日はきれいな青空だった。もちろん、まだ冬が終わる気配は見えない。

前期がもうじき終わり、半期だけの留学生はもう国に帰ってしまう。私の留学も半分が終わった。慣れてきたのに、きっとここからは怒濤のように時間が過ぎ去るのだろう。帰ってからのこともじょじょに考えなければいけない。

今日は、ボルヘスの本とボルヘスについての本を買った。前よりも、スペイン語の文章に触れるのはずっと楽しい。そしてなぜか、英語の文章に触れるのも楽しい。難しいことを考えなければ、難しいことも分からなければ、と思い詰めないで本を読むのはとても楽しいことだ。そしてそうして暮らしていくことも。