前回のエントリーよりすでに2週間以上が経過してしまった。仕事がなにやら忙しく、ばたばたしているうちにすぐに時間が過ぎる。
バーンズは住みよいところだが圧倒的に白人(イギリス人が多いが、ポーランド人、スペイン人、イタリア人などもけっこう住んでいる様子)が多く、そういう点ではロンドンならではのごちゃ混ぜは体感できないし、私のような有色人種は少し目立つ気がする。とはいえ、ロンドンの人はいろんな顔に慣れているためか見られたり何か言われたりということはない。
近所のコンビニのような店で新聞をチェックしたところ、Daily Telegraph、The Times、そしてタブロイド(ミラーかメールだがどちらか忘れてしまった)一紙の計三紙が一番売れているようだった。わりと保守的なところなのかも。
バーンズ「ビレッジ」と呼ばれているだけあり、ロンドンにありながらこの地区だけで全てがまとまっているような感じ。パブがあり、ハイストリートに店がいろいろあり、カフェがたくさんあって友達同士の憩いの場となっている。家のインターネットが全然通じないので近くのスタバに出入りしているのだが、ママ友が出会ったり、家族ぐるみでお茶に来たりする場になっていて、子どもコーナーもあってファミリー向けだし近所の人がかなり来ているので都会のスタバとはかなり違う。家族が落ち着いて住める、コミュニティがしっかりあるところのようだ。道を歩いているとおしゃれなお父さんとお母さんが子どもを連れて公園を散歩している、といったような絵に描いたような光景を目にすることが多く、とてもまぶしい。
かなり街が気に入ってはいるのだけど、一人で住んでみてもイギリスに愛着があまり持てないのは変わらない。イギリスのいろんなことが気にくわないということは否定できないが、いろいろなことが重なって、けっこうしんどい三年間だったのだと思う。ちょうど30代を迎えてから住んだので、20代の頃の体験を元に乗り切れないことがあった。20代の若い東洋女として海外にいるのと、今こうして住んでいるのとではだいぶ意識が異なる。ディナーに参加したりパートナーの集いに出たりと、パートナーという立場での付き合いが飛躍的に増えたが、私にはうまいことつかめなくて、要領も悪いし、しんどい思いをすることもあった。生きていく内に役割が変わっていって、見られ方も変わっていって、それに順応していく、それができていないのだと思う。また、私自身には大震災の実際の影響がなかったのだが、海外在住の日本人として原発事故に関する質問を受けることも多く、それと向き合うのも、しんどかった。
加えて、英語でのコミュニケーションがとてつもなくしんどかった。今もしんどい。1つ目は、英語ができる、ということがプラスになるのではなく、むしろそれがスタート地点のゼロであって、かなりのレベルになるまでマイナスである、ということがしんどいのだと思う。今もまだマイナスという気がする。そして、2つめの理由として、英語は日本人のお互いのチェックが厳しい。最後に、英語ができる、ということがどういうことかよくわからなかった。発音が英人みたいならいいのか?スペイン語やドイツ語ではいかにも現地育ちらしい言葉遣いと発音を目指すようにしていた。でもここは、謎の外人が大量にいる場所で、さらにいわゆるネイティブでも発音や使う言葉にかなりばらつきがある。誰を真似したらいいのかもよく分からない。外人でも、よくよく見ていると、あえて自分のなまりを残してそれを自分を印象づける材料にしている人がいる。もうそれほど若くないから、内容がまともで文法がまともである方が敬意を持って対処してもらえそうだし、今さらネイティブ風を目指すのは無理だ。カタカナでもいいから大声で文法を重視して話した方がよっぽど通じるという結論に至ったが、それでも今でも試行錯誤している。
言葉にしてみるとやっぱりいろいろ辛かったんだな。今仕事があるのは特に英語にかんするもろもろを乗り切ったからでもあるんだけど、辛くなくて楽しければそっちの方がよっぽどいいという思考法なので、辛いことがあると「辛いことを乗り切るのがいい」という発想の人と比べてたぶん3倍くらい辛い。