ロスト・イン・トランスレーション続き

散々愚痴ったあと映画評を眺めてみたら、人間の孤独の描かれ方に共感する人、日本の描かれ方にぶちぎれる人、日本の描かれ方に新鮮みを覚える人、コミュニケーションが取れないおかしみを楽しんだ人、と大体5種類くらいに感想を分類できた。コミュニケーション不全のおかしさを楽しめた人は、アメリカに住んでいた人みたいだった。アメリカ人が何も通じないことに直面したときの戸惑いや絶望と、私が同様の状況に直面したときの感情って全然違うってことか。ソフィア・コッポラが東京に来たときの体験が下敷きになっているそうだけど、物事のとらえ方が全然違うんだろうな。ふと思ったのは、大学生くらいの海外一人旅の体験談みたいということ。一人旅に出て、言葉はそれほどできないのもあって、旅先で知り合った同国人の異性が頼もしく、心許せるように見えたり、声かけてきた見知らぬ地元民とお酒を飲んだりしていい思い出になったり。そう考えれば納得の映画って気もしてきた。ただ設定に私がなじめないだけで…
アメリカ人が旅に出る映画といえば他に『それでも恋するバルセロナ』しか思いつかなかったけど他にもいろいろありそう。文学作品だとポール・ボールズの一連の作品ではアメリカ人が北アフリカや南米を旅行してひどい目に合っている。時代がずいぶん前になるけど『デイジー・ミラー』やヘミングウェイの『移動祝祭日』*1マーク・トウェインの『ヨーロッパ放浪記』もそうかな。その辺は、むしろ「アメリカ人ヨーロッパを体験する」というくくりができるかもしれない。

*1:この作品を真に受けてペルー人がパリに行ってしまい、予想した暮らしとのあまりの違いに絶望するのがブライス・エチェニケの『マルティンロマーニャの誇張された人生』