語学の仕事はきっと、それを発注している側にとっては必要悪でしかないのではないか。できれば、言葉の壁なんてなければいい。話の分かるもの同士だけで話を通せればそれが一番いい。仕方がないから翻訳や通訳を通す。そして語学のできる人であれば、誰に頼んだってほとんど同じだって思うのかもしれない。訳出する精度や背景の理解度、仕事に対する情熱が人によって違うのは他の仕事ともちろん同じだけれど。でも我々(と称することができれば)はブラックボックスで、その能力や何やらを評価するのは実はクライアントにとって難しいのかな。仕事の精度とは別の問題が実は客商売として一番重要なのかもしれず、その点では会社で盗み見つつ勉強していくのが一番なのかもしれない。でもさ、そんなことをぼんやり考えているとだんだんとしんどくなってくる。