文学から遠く離れて

昨日は通訳の学校のあと、はるばる京都まで某学会に行った。学部生の身分で行ったので門外漢気分を満喫したが、最近あまりアカデミックな雰囲気に良くも悪くも触れていないのでよい時間を過ごせたと思う。
シンポジウムで二人の先生方のお話を聞いた。お二人とも、文学の文章が分かりにくいことや、文章が普通ではないこと(黒人英語であれ、クレオールであれ)をじっくり見つめてそれを楽しんでいることがよくわかった。小説を読んでいても「この小説わけ分からん、何とかしろ」とついつい思ってしまうし、通訳の勉強の時にはいかに手短に、情報を漏らさず分かりやすく伝えるかを学んでいる。書き言葉でしか残し得ない、言葉のひずみやゆがみを楽しめるかどうかが文学を楽しめるかどうかの分かれ目かもしれないなどと思った。言葉の手触りの細かい違いに目を配れるか、それを楽しめるかどうか。
ふだん「小説など読んでいても…」と思いがちであるし、小説を一人読んでいたからと言って世の中が少しもよくならないことは事実であるけれど、文学を心から楽しむ人に会うと何となく、力をもらえるような気がする。