J. ゴイティソーロ『サラエヴォ・ノート』

1993年7月にサラエヴォを訪れたスペイン人作家ゴイティソーロの記録。
いまだによく分からないのがバルカンの地理と歴史だが、サラエヴォボスニア・ヘルツェゴビナの首都にあたり、内戦前は旧ユーゴの中でも目だって各民族が混じり合って生活していた場所であった。このルポが書かれた当時のサラエヴォは激しい戦闘状態にあり、民族の共存は危機に瀕していた。すでに崩壊していたと言うべきかもしれない。
ゴイティソーロサラエヴォの悲惨を常にスペインの歴史に重ねる。例えば、スペイン市民戦争の悲惨にボスニア内戦を見る。共和国側が敗れたときに手をさしのべてはくれなかったフランスに現在のヨーロッパを重ねる。そして、当時は盛り上がった世論と比較して、反応の薄い国際社会への失望を述べる。また、美しい国際都市だったサラエヴォに、中世のトレドを見る。イスラムへの不寛容を目の当たりにして、かつてスペインが異教徒を排除したことを思う。この本はサラエヴォについてのルポルタージュでありながら、スペインについて述べているようでもある。
この本で知ったことだが、セルビア人勢力は自らをヨーロッパをイスラムから守る存在であると規定していた(あるいはそういう戦術を取っただけなのかもしれないが)ことである。ECの旗が緑色の液体に包まれていくCMを流し、ヨーロッパがイスラムに飲み込まれると恐怖を煽る。その最前線で戦っているのが自分たちであると。バルカンはヨーロッパからはエキゾチックな存在であり、けしてヨーロッパの『中』ではなかったようだが、バルカン諸国側はヨーロッパの仲間入りをしようと切望しているようである*1
ヨーロッパの辺境である(あった)スペイン人が同じく辺境である旧ユーゴに対する見方のひとつがこの本であると思う。もちろん、政治的な理由でパリに亡命したような人だし、スーザン・ソンタグとの親交が深いことを見ても、その考えが広くスペイン人に共通するとは到底言えないものだと思う。ただ、ヨーロッパそのものの視点ではないと思う。
しかし、EUの仲間入りをしてもう長くなり、スペイン人の若い世代は、特に高等教育を受けているような人は、スペインがヨーロッパとは一線を画している気がするとか感じるんだろうか。その感覚は内戦を知る人、内戦は知らないがフランコ政権下で育った人とはかなり違うのではないか。国内では地域主義者が多いところだと思うけど、いざ国外問題に対処するときはヨーロッパの一員だと思うんじゃないのだろうか。中心じゃない、という感覚はあるようだけど。

サラエヴォ・ノート

サラエヴォ・ノート

*1:拡大EUスロヴェニアをすでに加盟国に加え、クロアチアもその中に入ろうとしている。クロアチアに対し、ヨーロッパの仲間入りをしたいのであれば戦犯を差し出せ、とクロアチアは要求されており、まだ加盟の見通しは立っていないはず