「読める人」

文学の授業があって私は当たったのだが、訳していく過程で先生がはさむ言葉のひとことひとことを聞いて、文学作品を「読める」というのはこういうことを言うのか、と改めて思う。内容を取れる、というのとは違う能力が要求される部分があり、そこには今後も到達しそうにないと思った。
「文学よみ」は私には多分向いていなくて、進路選択の間違いを考えなくもない。「もしも」を語っても仕方がなくて、前の大学の三年進級時にアメリカ文学を専攻に選ばなかったなら、惨めな思いは少なかったかもしれないし、また別のかたちで苦しかったかもしれないし、そっちが向いててマスターとかに進学してるかもしれないし、でも今の自分にとりあえずは満足していくしかない。おかげでたのしい人をたくさん知れたのはあるし。満足してないわけじゃない、今はたのしく毎日を送っているけど、他にいい場所はあったのかも知れない、とは思い続けていくんだろうな。