よりよい英語学習のために、まず絶望しようを読んで何か英語学習について書きたいと思ったものの考えてみたら私に書けることはなかった。生存と趣味のためにいくつか語学を学習しているが英語は仕事でしか使っておらず、コミュニケーションでまともに使ったことがほとんどない。英語圏への留学経験はなし(旅行はある)。読めるのにしゃべれない、聞けない!といういわゆる典型的日本人状態に陥っており正直英語はコンプレックスだから「日本人の英語がろくでもない」と嘆く話を聞くと冷やっとする。でもまあいろいろ語学の経験+思い出話で何か書いてみる。

日本の中高でどういう教育をしたらいいのかってのは正直全然分からない。中学の頃の英語教育って覚えてるのは一日だけアメリカ人かオーストリア人のTAが来て、「初めて外人を身近に見た!」と大興奮とか、単語力は英語力!と今思えば大変な正論を教わってたのにみんなうざがって先生にチョーク投げたりほぼ授業崩壊してたことで、そういう状況で世界に羽ばたくために英語勉強しましょう!といってもかなり難しい。ほとんどが地元に残って高校出て就職するようなところだった。カリキュラムの問題ではない。中高での英語教育の話って、基本的にエリートの養成の話なのかな。エリート養成ならそりゃ話は早いけど、特に中学は義務教育でいろんな人がいることになってるし、生徒のやる気もなく知識もなく親のサポートもなく教材もたいしてない状態で授業するなら訳読くらいしかやることがないと思う。とにかく基本の文法と最低限の語彙だけ身につけさせて、やりたい人は高校以降または自分でやってね、というスタンスであれば訳読って手間も比較的かからないしクラスの人数が多くてもできるし効率のいい方法じゃないかと。

高校の時は学校で単語帳の指定がなく、各自勝手に速単とかターゲットとかDuoとかを買って勉強していた。授業でレベルの高いことを勉強するが受験サポートということは一切しない学校だったので、体系的に単語をやる機会はなかった。文法はロイヤル英文法をまるまるやったと思う(私はまじめに取り組まなかったので今苦しんでいる)。文法は当時無駄なんじゃないかと思っていたが、ネイティブに囲まれて一から勉強するんでない限り、文法をちゃんとやるのが語学がわかるようになる近道だと思うのであれはよかった。英語で書かれた学習用の文法ドリルも併用したらなおのこといいかもしれない。

語学の教育は日本でノンネイティブの先生でも教えられるような文法と単語の詰め込みをたくさんやればいいと思う。文法ってものすごく細かいを覚えるのが無駄に思えても無駄な時って全然ない。語順や考え方が全然違う語が母語であるからこそ文法を手がかりにしなきゃいけないときがある。発音があまりにもまずいのは問題なので、それはおいおい音声教材等を使う。id:saebouさんもおっしゃってますが単語が分かれば音自体の聞き取りがそこまでできなくてもリスニングは何とかなる。困るのは知らない単語が聞こえてそれを書き取らなければならなかったり、辞書でひかなければならないときくらい。原書を読む機会はもっとあった方がよかったとは思う。

あまりにもまとまりがなくなってきて自分が悲しくなってきた。外国語は道具なので、何をしたくてそのために必要なのは何か、というのを見極めるのが一番大切だと最近は考えている。「ペラペラ」と言っても、昨日あった出来事を日本語アクセントなく口語で話したいというのと、非常に専門的な知識を研究者と語り合いたいのと、ビジネスの交渉で使いたいのと、では中身がだいぶ違って、そこに辿り着くためのアプローチが異なってくるはず。読めんでもいいからとにかく外国人の客の相手をしなきゃいけないのと、翻訳で必要なのと。学校教育ではそのそれぞれの目的にまでは対応しきれないから、文法と単語の下地だけ作ってあとは各自できるようにするしかないんじゃないか。

現地での会話に関しては、欧米系の言語で全体に言えることなのではないかと思うけど、自分の意見をとっさに述べられないと、軽蔑はされないけどその場にいないも同然の透明人間状態になってしまうので非常に辛いです。逆にたどたどしくとも、自分の意見を組み立てられれば苦労は少ないのかも。私は未だにそれで苦労している。細かいレトリックを使おうとしないで、言いたいことをまず文頭に持ってきて、その後理由とかをだらだら話すようにするとそれなりに場が持ちます。