卒論に忙殺される。失敗から何かを学んで前進、てことはないのか?卒論二回も書く羽目になった人はそういないはずなのになぜこんなことに…。
今日は先生とお話ししていて、中南米の作家にはミクロなレベルでうだうだ言っている作家がほとんどいない、という話になった。日本の女性作家みたいな(林真理子とか山本文緒とか角田光代とかたとえば)女性同士の確執とか、ふとしたことで彼氏に失望するとか、そういう日常の細かいことを風景の描写と共に書いたものを読んだことがない。一気に「ラテンアメリカとは何だろうか」になってしまう。あとはスケールの大きなストーリーテラー系らしい。日本の女性作家の小説に出てくる、ラーメン屋の描写とか、くたびれたサラリーマンの描写とか、翻訳物で見たことがないのだが、あれは翻訳不可能な世界なのか、日本語に独特なのか、なんなのだろう。
今読んでいるのはパリに来たペルー人がさまざまな現実に悩まされてうだうだする話だが、少しだけ「私小説」に似ている。
そういえば水村美苗は男女ともに読者がいると思うのだが、しかも「純文学」という位置づけっぽいが、林真理子とか好んで読む男性はいるのか。男性読者の獲得には、「女同士の世界」のリアリティある描写から少しはずれて、抽象的に、より大きな物語を展開しないといけないのか。あと男性向け小説で、エロ系じゃなく、女性が読まないジャンルあるいは作家ってあるのかな。