日記

ストレスで胃が悪い。

昨日は、子とデルタの亀石を渡りに行ったが物凄い人。若者の集いもあったが、お酒を囲む中年グループの集いもあった。屋内を避けて、桜を見ながら集うことにしたのだろうけど、怖い。わざわざ観光客が遠くから電車に乗ってくるとは思えないので、そこそこ近所の人なのだろう。

私たちのような子連れも多い。屋内施設が全滅で子連れで行くところがないので、御所も鴨川も人が多い。

足早に亀石を往復し、荒神橋の亀石を往復して帰宅した。

桜が先週の雨で全部散ってしまっていたらよかったのに。

日記

三日坊主にすらなれない。

以前行ったことのある店や、いつか行ってみたいとInstagramでフォローしている京都のお店が、次々に休業か、持ち帰りのみになっている。まだ休業していないところも持ち帰りを始めた。

今日は病院の帰りに平安神宮をのぞいてみた。観光バス用駐車場には一台も停まっていなかったが、思ったよりは人がおり、次々と神苑に入っていった。神苑を入ったところに桜の園があるのでそこ目当ての人がいるようだった。中の様子は外からは見えない。屋外とはいえ、隣との感覚が狭くなるかも、と不安になったので神苑は入らず帰宅した。

こう書いていると心配しすぎではないか、とも思うけど、医療系のアルバイトもしており、私から感染したら命の危険がある人と会うこともあるので、気をつけるに越したことはない。

日記

昨日は感染拡大により重苦しい空気がある中、友人一家と会った。食事は避け、広い公園で遊んだが、本当は会わないほうがよかったかもしれない。でももう次いつかも分からないのだから、できるだけのことはした上で会った。会えてよかった。寒い一日だった。桜が見頃だけど、その公園で花見をしている人はいなかった。

遠い友人たちと次いつ会えるのか、そもそも交通機関が復活して再会できるのか、わからないのも辛いが、近所に住んでいる人とすら交流しづらいのは悲しい。

三月前半にヨーロッパに旅行していた学生さんから感染拡大してしまった。学生さんたち、気の毒に思う。ヨーロッパ到着当時は、全く問題無く観光できただろう。現地に知人もおらず、現地のニュースをチェックしたりもしなければ、刻々と変化する状況なんかわからないし、それが普通だと思う。帰国してまだ検疫もしていなくて、自宅にできるだけいてください、の呼びかけがあったかどうかもわからない(私が帰国した九日は検疫なんかなかったし、自宅謹慎の呼びかけもなかったはずだ)。今後、若い人も気をつけるようになると思うけど、これで感染した人、感染源になってしまった人を責めないで欲しい。偉い人が率先して責め立てるのがひどい。

家の誰かが感染して二週間引きこもりになった場合、外に出なくていいだけの食糧は揃えておきたいが、三人で3食ずつ、二週間分はかなりの量になる。近所のお店で買った方がいいことはわかっているのだが、乾麺や保存食系、どこで買えばいいんだろう?

パンでも焼こうかな。

日記

コロナウィルス流行のため、三月四月の仕事がすべてキャンセルになった。

二月二十二日からギリシャ、三月一日から八日までイギリスに滞在し、九日に帰国した。ギリシャは滞在当時ようやく感染者が出た程度で、イギリスは感染者の数が増えつつあったものの、若者はお構いなしにクラブなどに繰り出しているように見えた。同時期、すでにイタリアは死者も多くて大変なことになっていたが、スペインは八日時点で世界女性の日デモを盛大にやっていた(その後感染者大幅増)。出国の時は自分がウィルスみたいな気持ちだったけど、帰国してみたら、流行地ヨーロッパから帰国した危ない人になっており、辛い。帰国から二週間待ってから行ったのに、病院で危険人物扱いされてしまった。

世界全体鎖国状態だし、個人的な付き合いも制限を受けて、苦しい。自由に特に何も考えずに動き回ってきたが、今はできない。京都市内ですら、気ままには動き回れない。むき出しで売られている食べ物を買いたくなくなってしまい、パン屋にも行けていない。

日本は自粛要請に過ぎないので勝手に好きなことはできるが、ほとんど何の指針もなく、ただもしこれで何かが起こったらひどい社会的制裁を受けることがわかっており、自分で何をすべきか何をすべきでないか全て決断しなければいけない。イギリスみたいに、何をして良くて何をしてはいけないのか、明確にしてほしい(それでも足りないらしいが)。これはしたらダメ、と禁止したら、その活動を保障しなければならなくなるので、政府は何も言えないのだと思う。うんざりすることばかりだが、日々暮らしていくしかない。

スペインのニュースも、イギリスのニュースも、アメリカのニュースも、もう追うのをやめた。正しかろうと誤っていようと、この国の枠組みの中で生きるしかない。物理的にここから外に出ることもできないのだから。ネットのニュースは言葉によらずできるだけみない。感染者速報を逐一チェックするのと、朝京都新聞でまとめて知るのと、生き延びる確率が特に変わるとも思えない。

 

読書が救いになりつつある。子どもも、日々を救ってくれていると感じる。

久しぶり

気づいたら二年以上放置していました。産後疲れなのか年齢による体調の変化なのか分かりませんが、体調が悪い時期もありましたがそれなりにやっています。
前に良くのぞいていたはてなを数年ぶりに見たら、「二十周年」とあって、そういえば自分も書いてたなと思い出して戻ってきました。
1999年にレンタル掲示板を始めて、ホームページ上の手打ちの日記からt-Diary、はてなと日記めいたものを書いてきましたが、ネットで何事かを書き始めてもう二十年近くなります。四年前に子供が生まれて生活が変わってしまい、自分のために使う時間がなくなってしまったのが更新が止まった主な原因ですが、何も書かなくなったのは、でもそれだけではないです。すっかり自分で何か発信する気がなくなってしまった。Twitterも閉じてしまったしFacebookも友達と連絡を取るため、メッセンジャーを使うために残しているようなものです。Instagramも、iPhoneをやめてガラケーにしてからほとんどアップできていません。
私は人の日常生活をのぞくは好きで、友人のInstagramのみならず、見知らぬトラック運転手の愛妻弁当とか、ギャルっぽいお母さんたちがかわいい子供たちや自分のファッションやキャラ弁を上げているのまで見てるのですが、今の子供がいる日常を人に見せる気にならない。人に訴えたいこともない。お弁当を頑張って作った日は、写真を撮って見せて、誰かにおいしそうとかすごいとか言ってほしいと思うときもあるけど、特に参考にもならない弁当だし私の得意分野でもないので、まあいいかなあと思ってしまう。
子供がいる生活がつまらないとか、そういうことはないです。写真も上げないけどかわいくてたまらない。いなくなったらと考えるだけで涙が出ます。でも、ネットにいろいろと発信したかった自分の人生は終わってしまったのかもしれない。子供が生まれて、はじめて人生が始まったように思うという人も多いんだと思うけど、私は、今までの私はとりあえずそこで終わったと思う。
母親や家事をする人としての私は、他人に何かを発信できること、したいことはほとんどないらしい。子供のかわいさも、家族で盛り上がっていれば満足するし、料理とかもそう。あれだけ何かを書きたかったのに、母親になったら発信することがなくなってしまったの、残念ではあるけれど、気が楽でもあるからまあいいかと思っています。
今後は言葉とか、観光の仕事関係で何か発信出来たらいいとは思っているので時々戻ってくるかもしれません。一応はてなは残しておこうと思っています。

3日でマスター!京都検定3級虎の巻

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